利休百首
投稿日:2014年03月13日 / 記事カテゴリー:薬師湯について
「利休百首」とは茶道を始めた千利休(せんのりきゅう)の教えを初めての人にも、
分かりやすく、また覚えやすいように和歌の形にしたものです。
この歌は、茶道を学ぶ者の心構えを教えています。
「その道に入らんと思う心こそ 我が身ながらの師匠なりけれ」
この歌が初めに詠まれています。
茶道に限らず、学ぼうとする気持ちをしっかりと持つことが大切であり、
また自分で学ぼうとする心こそが大切であることを示しています。
茶道は堅苦しいものと思われがちですが、究極、その心•目的は、
「一椀のお茶を美味しくいただくための心構えと所作」ではないかと思います。
茶道は日本の文化•芸術•生活、その全てが含まれた「日本の心」そのものだと思います。
私は父親と伯母の影響で、小学校低学年から茶道を習い始め、一時は
茶道で身を立てようかと思い込んだ時期もありました。
小さい頃からの修行のお蔭(?)で、最高位の許状と資格をいただきました。
「一椀のお茶から世界平和を」と提唱された15世鵬雲斎家元との約束もあり、
海外に在住中は、いろいろな場所で茶道を紹介し、デモンストレーションもしました。
今となれば、海外での経験のその全てが貴重な経験と思い出になっています。
デモンストレーションは、例えば教会の中でしたこともありますし、
美術館の水が流れる大きなガラスの壁をバックにしたこともありました。
また外国人や現地在住の日本人にお茶を指導したこともあります。
今は諸事情でお茶の指導はしておりませんが、毎日、家族に抹茶をたてています。
茶道を習って、本当に良かったと思っています。
茶道の考え方、所作やシンプルさ等、その究極に簡素化された無駄のない流れが、
今の私を支えてくれていると思っているからです。
いま改めて、利休百首を読み直し、その心や持つ意味を、じっくりと味わい、
かみしめていこうと思っています。
まもなく季節の節目の四月を迎えるにあたり、利休百首を読み直すことで、
気持ちが新たになれそうです。
「稽古とは一より習い十を知り、十よりかへるもとのその一」
これは何事も一から始まり、少しづつ進んでいき、十にたどり着きますが、
十にたどり着いて、そこで満足するのではなく、また一に戻り、繰り返しながら
進んでいくことの大切さを説いています。
初心に戻ること、初心に戻るとはいえ、今までの経験を生かし、始まりの「一」に
戻ることの意味をしっかりと心に刻みながら、私はこの4月を迎えたいと思います。
茶道の教えと心を知る機会に恵まれたことが、私の人生を支えてくれることになリました。
折にふれ、特別にご指導下さった鵬雲斎家元に、心から感謝をしたいと思います。
ありがとうございました。