薬師湯の温泉は、ずっと昔から湧き出ていましたが、泉源主が銀山にまつわる奉行で温泉津に移り住んで以来、町の経済を司る庄屋などを務めていたこともあり、近くに温泉を生業とする所がありそのままでした。それが140年前の大地震で湯量が増えたので、経営権をいただき温泉経営を始めました。温泉のある港町ということで、3階建ての旅館もあり、独特な雰囲気を醸し出しています。現在でも効能のある湯を出し続けています。木造三階建の旅館が並ぶ景観は、大正時代から昭和時代初期の温泉街の賑わいを留め、まるでタイムスリップしたような錯覚にとらわれることでしよう。
全長800mほどの町並みは、港から東へ向かう谷筋の通りと枝分かれする4本の枝筋に沿って、家屋が建ち並びます。江戸時代の町割りがそのまま残っているので国の重要伝統的建造物群に指定されていて、間口の狭い短冊状地割りを引き継いでいます。特に狭い谷部の土地利用は、かつての石見銀山と関わりながら発展した町の様子をよく伝えています。山の方に添ってうねる様に、また細くて狭い所に、軒下や屋根を重なり合わせて作られた町並は、全国でも類を見ない珍しい景色です。 全国的に電線の地中化が叫ばれている今日ですが、この辺りの引込み様式をじっくりとご覧頂くと、人々の工夫や人間ドラマと共に歴史を感じていただけると思います。