生きた博物館の町・温泉津
投稿日:2012年07月27日 / 記事カテゴリー:薬師湯について
私は温泉津を「生きた博物館の町」と呼んでいます。
その度に、人様には「どうして?」「なんでですか?」 と聞かれます。
温泉地としては全国で唯一、重要伝統的建造物群(重伝建・町並み保存)に指定され、更には石見銀山・山世界遺産の一角をなしている温泉津には、銀山の歴史にまつわる遺構や神社仏閣や江戸時代の住居を始め、明治、大正、昭和の各時代の建物が残っており、そこに今でも人々が住んで生活を営んでいます。普通ならば博物館のガラスケースの中に飾られているような物や環境に囲まれて、今でも人々が住んで日常生活を営んでいる町だから「生きた博物館の町」と呼ぶに相応しいと思っています。
薬師湯の屋上(3階)のガーデンテラスから見ることができますが、江戸時代からの町割り(区画)が、ほぼ変わることなく今日まで来ている事が貴重だと言われており、文化庁の重伝建の3段階のランクで、一番高いランクの指定を受けています。
その様子は、まさに「町づくりの原型」をご覧いただけると思っています。
現在の都市づくりは、まずは道路などの交通網の土地を確保してから、それを中心に建物を作っていき、都市を作ります。
ですが昔は踏みわけ道的に、人間は空いている所とか住居を建てやすい場所を選んで住まいを建てていったと思われます。
中でも温泉津のように、周りが全て岩地の場合は、谷地を選ばざるを得なかったと思われます。
ですから温泉津は一本道なのですが、真っ直ぐではなくウネウネしている理由が(山:岩地と同じ形状)、薬師湯の屋上から見ると良く分かります。
このような昔のままの町づくりの様子がそのまま残っているのも珍しいと思いますが、更には銀山や北前船時代の建造物も残っています。
お客様には「温泉津の町を歩くだけでも、何かホッとする」と言われます。
このような雰囲気の「生きた博物館の町」温泉津に、ぜひお越しくださいませ。
お待ち申し上げております。