茶道
投稿日:2012年07月20日 / 記事カテゴリー:薬師湯について
日本には茶道を始め、華道、柔道、剣道など、「道」という文字のつく日本の精神・文化・真髄を表現する様々なものがあります。
私は茶道が好きだった父と伯母の影響で、小学校時代から茶道の手ほどきを受けて育ち、最終的には十段という最高位の許状と正教授という資格をいただきました。
裏千家のお家元(14代と15代)には、ずいぶんと可愛がっていただいたことを感謝をしています。
今ではあの酷暑の京都で、10日余りにわたる夏期講習会に何回も参加し、厳しい修行に励んだ事を懐かしく思い出す日々です。
十段をいただいた時の家元は15代の鵬雲斎でした。当時私は30歳代でしたから異例中の異例の若さでした。ちょうどオーストラリア(豪州)へ転勤する時に特例としていただく事になり、家元から豪州で茶道を広めて欲しいと頼まれました。家元との約束ということで、豪州では頼まれれば何処ででもお茶をしました。教会でした事もありますし、メルボルンでは美術館の水が流れるガラスの前の広場で、デモンストレーションをしたこともあります。
その中でも家元との約束を果たしたと思える成果は、裏千家茶道のメルボルン支部の基礎を作った事でしょうか。毎週末、応接セットを動かして畳を敷き、和菓子も手作りして、現地に住む人達に茶道の稽古をしたことが懐かしいです。
裏千家の茶道は基本的なお点前として平点前という薄茶を点てる作法があります。それは本当に基本的な所作、手順でお客様に薄茶を点て、その後道具を片づけて終わるというものです。
茶道を確立した千利休が詠まれたというお茶の教えを説いた利休百首の中に、習いごとは「一から始まって百を知り、それから一に戻る」という内容の歌があります。本当にその通りで、奥儀まで極めた後に平点前に戻ると、所作や流れなど、そのシンプルさや自然な動きにハッとさせられたり、違った意味で新たな気づきや真意を学ぶことになります。
その時代から何十年が過ぎ、家庭生活や仕事など、いろいろな事に携わってきました。
現在は茶道のお点前をすることは少ないですが、茶道の精神や手順や流れなど、茶道の考え方が私の基本にある事を感じていますし、支えてくれていると思っています。
茶道は行儀作法だけではなく、食事を楽しむ茶事もありますし、くじを引いて生け花や香、また書を楽しんだりと、様々な日本の文化・芸術など、幅広い分野を楽しむことができます。
日本にはこのような文化が受け継がれてきている事の素晴らしさを誇りにしたいものです。